コーディネーターブログ
2022.04.26【お役立ちコラム】挫折の活かし方 ~銀座テーラー承継の軌跡~(前編)
コラム
こんにちは、エルパ GM徳増です。
みなさんは「挫折」を経験したことはありますか?
失敗ではなく、「挫折」です。
自分の人生をかけて全力で、無我夢中で邁進し、叶った先に夢見た世界が全然違っていたら。
愕然として、目の前が真っ暗になり本当の意味で挫け折れます。
でも、逆に言うと
それだけやらないと「挫折」は味わえない。
今回のお話は今や著名人や政界経済界の方々に愛される銀座テーラー 4代目社長 小倉氏のコラム。
彼女の強さは「とことんのめり込む」「とことん実行する」「自分の想いに素直に動く」です。
「挫折」が羨ましいとさえ思える、強さの秘訣をどうぞご一読ください。
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初めまして。
銀座テーラーグループの小倉祥子と申します。
1935年に私の祖父が創業した会社「銀座テーラー」を事業承継した4代目です。
銀座テーラーを受け継ぐ前に、紆余曲折した人生を歩んできました。
幼少時代から音楽がとても好きで、趣味でピアノを習っていました。
そして、高校生の時に素晴らしいピアニストとの出会いがあり、
「私も彼のような素晴らしい演奏家になりたい!」そんな思いが突如こみ上げ、留学を目標に高校と短大の学生生活では、1日8時間以上ピアノの練習をする日々でした。
そして、短大卒業後、イギリスの王立音楽大学に留学する事ができ夢が叶ったのです。
しかしながら、入学早々大きな壁にぶつかりました。
周りは、ずっと特別な英才教育を受けてきた生徒ばかりで、世界レベルの高い技術力を持ち、コンクールやコンサートの経験値も豊富で、自分は足元にも及びません。
そんな中で一緒になって演奏する事がとてもプレッシャーで苦痛になり、大好きなピアノを弾く事がつらいだけになってしまいました。
結果的にピアニストの道を断念し、帰国する事になりました。
人生で初めての大きな挫折です。
(大きな影響をくれたピアニスト、エフゲニー・キーシン氏と
ロンドンのコンサート会場にて)
帰国後、自分は何をしたら良いのか、しばらくは茫然としていました。
友人は社会人となり、仕事を覚えて丁度楽しくなっている様子でした。
「私も仕事をしなきゃ」と焦りが出て、就職活動を行いました。
当時は就職氷河期。
就職率も60%程で、特に私のような新卒でもなく社会経験の無い、中途採用枠での就活は全滅。
またまた自分に自信を失いかけていた時に、当時銀座テーラーの3代目社長をしていた母から声が掛かりました。
「レディスの既製服の店をオープンするから、販売を手伝いなさい。」
これまで、洋服にそこまで興味も無かったですし、販売も未経験で全くしっくり来なかったのですが、他に道もなく、言われるがままにそのお店で販売の仕事を始めることになりました。
とても小さなお店でしたが銀座の路面店で立地は最高です。
そして、毎日仕事をしながら思ったことは・・・
「お客様が来ない。」
来店客数も少なく、入ってきてもすぐに出て行ってしまう。
売上も目標に対してなかなか達成することも無い中、不安な日々が続きました。
人通りもあるのに、なんでお店に入ってくれないのだろう。
隣のお店は繁盛しているのに…
そんな疑問が出てきても、特に解決策も見つからないまま、1年が経ちました。
実体験だけではなかなかモヤモヤが解決せず、自分の成長にも自分自身で限界を感じていました。
変わりたい!!!
学びたい!!!
そんな思いを胸に抱いている中、色んな機会が重なりアメリカのミシガン州へ留学が浮上。
渡米することに決めました。
当時のアメリカは日本の10年先をいっていたので、実体験だけでは学べなかった「ビジネスの基本」を学びたいと思い、マーケティングコースに進みました。
フェイスブックが立ち上がったばかりのアメリカではSNSが大流行。
そのSNSを用いてのPR方法やWEB戦略は、後にとても役立ちました。
(アメリカ留学時代。友人のパーティーにて)
私が留学していた間、銀座テーラーがとても有名になった時がありました。
まだ女性経営者が少なかった時代でしたので、母が大赤字だった会社を黒字にまで回復した経緯、私生活の苦労話など注目され、ほぼ毎日メディアに露出したのです。
海を越えた遠くの地からもWEBメディアを通してその様子に感動し、
「大変な時に二度も私に留学をさせてくれた母が、ここまで頑張って続けてきた会社を、私も未来に繋げたい。」
そんな思いでいっぱいになりました。
大学のコースが修了し、帰国前に母と電話で自分の想いを伝えて、事業承継の約束をしました。
(後半へ続く)
株式会社銀座テーラーグループ
代表取締役社長
小倉 祥子