コーディネーターブログ
2021.09.22【お役立ちコラム】自分らしく表現することは「新しい」を生み出す2
コラム
プルアラウンド株式会社 代表 杉浦 哲郎氏、連載2回目。
1回目の前編「バンドマン時代」では、「長いものに巻かれるのではなく、自分らしく表現すること」これこそアートである音楽の醍醐味であることを教えていただきました。
最終回の2回目はIT革命によりCDが売れない時代に突入し、知名度が上がる一方で生活は苦しくなっていく。
このジレンマをどう解消し、会社設立までにいたったか。
時世を掴み、「新しい」を生み出す為に必死に努力し起業を決意した時に「奇跡の電話」が!
自分らしく表現することは「新しい」を生み出す
~バンドマンの時にITバブルを経験して私が学んだこと~
後編「社会人編」お愉しみください。
皆さんこんにちは。前回のコラムをお読みいただきありがとうございました。
今回は前回の続き、社会に出てからのお話です。
大学を卒業し、就職をせず、ミュージシャンとして社会に出たのは2002年のことでした。
この年は日韓共催のサッカーのワールドカップが開催されており、当時2枚目のアルバムをリリースするべくレコーディングの真っ只中でした。
苦労の末ワールドカップが終わる頃に2枚目のアルバムをリリース。
その後一旦活動休止を挟んで、2004年に3枚目のアルバムを発売。
ワンマンライブではチケットが即日でソールドアウトしてしまうほどの人気になりました。
初めてCDを出した学生のときと比べても人気はどんどん出てきて、誰でも知っているような著名なアーティストなどとイベントで共演させていただいたりする機会も増えてきました。
そこそこ知名度のある私立大学を出ていたので音楽をやると言った時は学校の仲間には反対もされましたが、大学の友達にあっても「頑張っているなぁ」と言ってもらえるようになりました。
しかし、実はその裏側で生活は非常に苦しいものとなっていきます。
理由は、IT業界の進化です。
2000年から始まったITバブルの影響でさまざまなWEBサービスが生まれインターネットの利用率が上がり通信回線がISDNからADSLへ。そして光回線へと移行しました。
その時に生まれたものは「winny」などのファイル共有サービスや、今では皆がテレビより当たり前に見るようになる「YouTube」でした。
これらのサービスの進化により、知名度が上がるスピードは加速的に上がりライブなどへの動員は増えていくのですが、当時のミュージシャンの収入源の1番メインであるCDが売れない時代に突入していくのです。
自分たちもお客さんの数は2000年から見比べていくと100人、300人、500人、1000人とどんどん増えていくのですが、CDの売り上げは1.8万枚、5000枚、3000枚とどんどん下がっていきました。
昔はライブを見に来てくれる人の多くが自分たちのCDを持ってくれていたのですが、2000年以降はコピーされたCDやファイル共有サービスで落としてきた音源を聴いてライブにいらっしゃるお客様が増えてきたということです。
私もインターネットから知らない音楽を知る機会を無料で与えてもらってきたので、このことについて、今は否定することはないですが、当時は
「インターネットの普及によりアーティストの著作権は侵害されてしまい、結果音楽で生活ができない人が増え音楽業界が衰退してしまうのではないか?」
と強く感じていました。
そして、人気は最絶頂だったのに収入が減り生活が苦しくなった25歳の時にバンド活動を引退することになりました。
引退後、少し、道が定まってない生活をしていましたが
日に日に
「インターネットでダメになりつつある音楽業界のためにインターネットを勉強したい」
という気持ちが増してきました。
「その中でも必要なのはプロモーションとマーケティングだ!」
そんな思いが強くなり、27歳の時にITベンチャー企業の「インターネット広告代理店部門の立ち上げスタッフ」に未経験で応募しました。
当時は会社が伸び盛り。
今で言うブラック企業で朝9時から深夜の1時2時くらいまで毎日働いておりました。
毎週5人とか10人とか社員が入ってくるのですが、三ヶ月後には1人か2人しか残っていないという強烈な職場でしたが、自分は大学の新卒からの入社に比べると27歳で5年遅れていたのでちょうどいい刺激と思って必死に頑張って仕事を続けました。
当時はヤフーとGoogleの広告を売っていたのですが、広告代理店部門を立ち上げて3年、気づいたら責任者になっていて、日本にある1000を超える代理店の中で取扱高10位になる所まで組織が成長していました。
その拡大の過程で沖縄で事業と展開したり数々の知識と経験を手に入れることができました。
今思えばあれほどきつい思いをして頑張ったからこそ今こうやって会社の経営者になれるようなところまで自分が磨かれたのかなとも思っています。
その後、運命的な出来事が起きます。
当時働いていた会社を退職した翌日、バンドのメンバーから電話がかかってきました。
「久しぶり、バンドを再結成したいんだけど昔作った曲を演奏してもいいか?」
音楽業界をよくしたいという気持ちで入った前職を退職し、起業を決意した日に奇跡の電話でした。
プルアラウンドの定款には「アーティストのマネジメント業務」という文言が追加されることになり、当時自分たちが所属していたレーベルは、僕が代表となり別な法人格を持つことになりました。
今は40代とおじさんになりましたが、経営者として数々の知識と経験を生かして、かつてのバンドメンバーを後方支援することも事業の一つとして取り組めていることが非常に誇らしく、嬉しいことだと思っております。
まだ、音楽家の支援が本格的な本業と言えるレベルではないですが、いつかはそれも本業の一つと言える様に昇華させて行けたらなあと思っています。
以上で私の音楽を通して学んだことのコラムとさせて戴きます。
今エルパ様のサイトのリニューアルなどお手伝いさせていただいておりますがこうやって音楽の事業のお手伝いができることも当時からやりたかったことなので非常に日々楽しんでおります。
エルパ様いつもありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。
プルアラウンド株式会社
代表 杉浦 哲郎
http://pullaround.com/
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