コーディネーターブログ
2021.08.27【お役立ちコラム】自分らしく表現することは「新しい」を生み出す
コラム
今回から2回連載していただくのは、プルアラウンド株式会社 代表 杉浦 哲郎氏です。
WEBに関するマーケティングやプロモーションに長けており、現在、弊社のHPリニューアルをご担当いただいております。
代表の杉浦氏は温和な話術でコミュニケーションに長け、スマートな助言で仕事を進めていく素敵な方です。
しかーし、実はメジャーデビューの声が掛かる程の人気ミュージシャンであり、様々な経験を通して沖縄で会社を経営するに至ったようです。
その秘訣は「長いものに巻かれるのではなく、自分らしく表現すること」
自分の好き=個性を表現し、他者に共感され、価値を感じてもらう。
これこそアートである音楽の醍醐味です。
自分らしく表現することは「新しい」を生み出す
~バンドマンの時にITバブルを経験して私が学んだこと~
前編「バンドマン時代」についてです。
皆さま初めまして、沖縄でITの会社を経営しております株式会社プルアラウンドの杉浦と申します。
今はITの仕事をはじめて15年くらいになるしがない中小企業の経営者ではございますが、昔は音楽を仕事として一生懸命している時期がありました。
この度エルパさんとご縁がありましてミュージシャン時代のころの話をコラムとして書かせていただきます。
高校1年、16歳から本格的にギターを弾き始めてバンドを結成し、25歳までの約10年間活動をしてきました。現在41歳なので、これは約25年前のお話しです。
高校生の頃は単純に女子にモテたくて始めたバンドでしたが、その時に出会った仲間が最高だったことと、バンドブームだったこともあり高校を卒業することには300人定員のライブハウスに350人くらい動員をかけられる地元では人気のバンドとなりました。
大物アーティストの前座をさせて頂いたりするようになり、その後、大学進学し2年生の時(2000年)インディーズのレーベルよりCDを出すことになります。
当時はインディーズブームでいわゆるJ-POPといわれるジャンルだけでなく、HIP-HOP、R&B、レゲエ、ビジュアル系、パンク、ハードコアといった様々なジャンルのアーティストがCDを出し、様々な音楽が世の中に表れて受け入れらはじめている時代でもありました。
私たちのやっていた音楽は世間一般的にいうと暗いテーマで重たい楽曲が多かったので売れないだろうなーと思っておりましたが、「新しいモノを受け入れる」「個性が受け入れられる」時世に乗り思っていたよりはるかに売れてしまいました(笑)
CDを出して20歳の時には全国ツアーにも行き、47都道府県すべてを横断しました。
そして、22歳の時にはなんと日本最大級のロックフェスティバル「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演することになりました。
全国でもそこそこの知名度になり、当時大学生の自分は「これは音楽で生計を立てていく事ができる」と確信し、就職活動等一切せずにそのまま音楽で生計を立てる道を選ぶことになります。
さて、私は2000年の時に成人式を迎える世代なのですが、ちょうどそのころというのはITバブルの時代でした。
ヤフーなどの上場を中心に様々なIT関連企業が産まれ世の中にテレビ、新聞に代わる新たな販促メディアとしてWEB広告が売れ始めるのもこのころです。
私自身もバンドのホームページを作ったり、ブログのようなものを始めたり毎日インターネットに触れる時間が増えて来てその便利さを日に日に感じている時代でした。
しかし、
音楽一本で生活をする
と決め、就職もせず社会に出た私にとって、このITというツールが大きく人生に影響を与えていくとはこのころの自分はまだ知る余地もないのでした…
(後編へ続く)
プルアラウンド株式会社
代表 杉浦 哲郎
http://pullaround.com/
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